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阿吽     村松仁淀

「社会などというものは
存在しない。あるのは
個人と家族だけだ」
マーガレット・サッチャー


人間としての魅力のなさが
人間の仕事の動機であった時代
われわれの親たちは貪るように
本を読んでいた
人間としての魅力のなさを
克服するためではない
かれらは仕事のために
まさしく生きのびるために
貪るように読書をしたのである

やがて子が生まれると
親たちの多くは読書を
やめ、やめなかった幾人の
うちほんの数名が作家になった
嫡子すなわちわれわれとしては
ぼんやりそれを眺めるほかない
かれらの庶出した失敗作を――
異議を申し出る
あなたに聞くが
あなたは格別善く生きるために
あなたの父を愛するのだろうか
あなたの読書は興味本位だろう
興味本位の読書であっても
十分立派な習慣ではないか
あなたは言うけれども
そんな習慣なしにあなたは
十分立派な人間ではないか
あなたにはもっとあなたらしく
あなたにしか関わらない題材へ
取り組んでもらいたいのである

われわれのうち
ある者はこんなふうに熱弁して
明け方かれ自身が書斎にこもる
かれが山のなかで雑踏について
雑想をまとめておれは雑草だと
自嘲するとき雑草という名前の
植物は消滅する
牧野富太郎博士なら言うはずだ
雑草という名の植物は絶滅する

       *

おまえがやさしすぎる女すぎて
弱ったごきぶりを可哀想がって
少し菓子屑をわけてやったとか
趣味の話題さえいまとなっては
ラジオを聞くのと大差ないとか
おれたちには相談すべきことが
まだまだたくさんあるのだとか
薊野のスーパーで夏野菜を選ぶ
おまえのゆったりとした歩みに
急ぎ足でついてゆくとき
ふいに結縁していたとか
テーブル乞食の社交辞令よりは
巷のチンピラがまだマシだとか

まるで小さな町の情報誌
うなずきあうようにして
老いた女らの読むような、とか
ウェルギリウスにならい
手癖で書いては消していたとか
ああだとか/こうだとか
おれは四国山地の/どこにでも
ある寂しい古寺に/立つ仁王像
おれが阿といいおれが吽といい
おれがハレルヤをいうのだとか
今晩もし帰り道を迷わなければ
今朝の悲願すら忘れるくらいに
もろもろ刹那の呼吸なのだとか

軽トラの車内に
あとからあとから演歌があふれ
軍歌があふれて
おれの両目に涙があふれる
おれの魂はリディムにあふれて
手動で窓を開けてみた
なだらかにどこまでも遠く続く
山の彼方へレゲエを届けるため
雑草の一片の青春を終わり
そして牧野博士
おれはみずからに学名を与えて
山のうえにあるあなたのための
植物園へ繁っていたい
それがたったひとつだけの
おれにできる報恩であるならば
あのバビロンよりもはるか
兜率にまで鬱蒼としてみせよう












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